ノート、さまよいのなかで
こんにちは、ノート研究ライターeyecoです。
きれいとか、汚いとか、ちょっと休憩、わきにおいて。
まず、書いてみる。思うままに、気ままにペンを踊らせる。
そのために、わたしはよく、ノートを使う。
特に、不安にかられたときは、すぐ汚す。
そして、すごく汚す、ノートを。
もう、めいっぱい。
これは、先日のノート講座で登壇するときに、
参加者のみなさんに、わたしの体験、
ノートとの本気のおつきあいが始まったきっかけをどう話そうか、
ぐるぐると考えていたものです。
わたしの2大不安(当時)は、結婚生活の破綻と、
それによって突如さらされた経済不安でした。
まず、自分がどうしたいかとか、どうなるのかとか、
驚くぐらいに自分のことがわからない。
そのことにまた、オロオロと、困惑するばかりで、
なにをどうするも、まず自分自身が本当に、
どうしようもなかったです。
心の、奥の奥にある、ちいさな自分の声を聞くのは、大変です。
まずいろんなフィルターや雑音に阻まれて、なかなか取り出せない。
誰に聞かせるわけでもない、自分対自分で対峙しているだけなのに、
なかなか、これが、骨が折れる。
「大丈夫だこんなのなんでもない」
「いつものことだしやりすごしてしまえばいい」
なんて平気なフリをしたり。
「もっと気楽にいこうよ、楽しくしたら」なんて、
いきがったてみたり。本当に自分で分厚いバリアをはって、
自分がそれを破れなくなっている。
なかなか、奥の奥の声までたどり着けない。
本当に自分って、めんどう。
そんなときに、「なぜ」と「なに」。
この2つをつけて、再度、問うてみる。
●大丈夫だこんなのなんでもない
→「なぜ大丈夫と思うの?」
→「なにがこんなのなの?」
●いつものことだしやりすごしてしまえばいい
→「なぜいつものことなの?」
→「なにをやりすごしてしまえばいいの?」
●もっと気楽にいこうよ楽しくさ
→「なぜもっと気楽になの?」
→「なにが楽しいの?」
こう書いていくと、なんだかさらにめんどうだなぁと思うけれど。
一つひとつ、自分が心の中で発する言葉を拾って、じっくりお相手してみる。
自分との対話に、時間を使う時間を作る。
そういうふうにやっていったら、少しずつ、自分の本音に近づけていけました。
心がスッキリ晴れているときは、別のことに時間を使って、
霧がかっているときは、こんなふうにノートを書く。
少しずつ、繰り返しながら、ゆっくり回復する。
こんな状態のときは、目標とか、将来のビジョンは後回し。
(まず、頭が回りません。。。)
書いて、書いて、癒されていく。
そんな感覚で、ノートに向き合った日々です。